豊田市の祭り

豊田市にある挙母神社を中心に開催される挙母祭りについて

トップ > 挙母祭り

安産祈願で有名な挙母神社を舞台とする挙母祭り

挙母祭りと挙母神社

挙母祭りの起源は、江戸時代の初めころと伝えられています。
挙母祭りの行われる挙母神社は、明治初期まで子守大明神と呼ばれていました。創建年代は不明ですが、源義経の臣、鈴木重善が大和吉野を出発して矢作まできたときに、 源義経が奥州で戦死したことを聞いて当地に隠れ住みました。
その後、吉野から子安社を歓請捧持した分神を祀ったのが挙母神社です。

【山車の保存】
普段、多くの山車は解体されて山車蔵に保存されています。
山車の素材は欅、樫、紫檀、黒檀等の上材が使われており、各町で土蔵作りの山車蔵を作り、大切に保管されてきました。
しかし山車蔵も時代と共に損傷が激しくなってきており、各町では山車を後世に伝えるため、これら山車蔵を建て直して保存につとめています。
山車を飾る大幕も劣化が激しく、新調したものを使用し旧幕は保存してあります。山車の組み立ては祭りの1~2週間前に行われますが、 図面などなく経験と勘によって組み立てられ、釘は使わず木製の爪や麻紐を使います。

試楽

挙母祭りは毎年10月の第3土・日曜日の2日間に渡って行われ、一日目を試楽、二日目を本楽と呼びます。
試楽に山車はそれぞれの町と地区を曳き廻します。
樹木地区では午前中に三町曳き、午後より町内曳きを、下町地区では午前中に町内曳きを、 午後より五町曳きを行います。そして夜には挙母神社にて七度まいりが行われます。

本楽

二日目の本楽は挙母神社最大の行事の一つ、神社への曳き込みの日です。
神社の中で南町の獅子による御祓いが行われ神社内が清められると、合図と共に山車は一気に境内に駆け込みます。
山車の曳き込みを終えると宮司を中心とした神事が行われ、この後御輿の渡御となります。
御輿は神官や供奉員と共に、約6kmに及ぶ巡行に出発します。
そして夕方、御輿が神社へ戻ると挙母祭り最大の行事、山車の曳き出しとなります。

七度参り

試楽の夜には七度まいりが行われます。
高張提灯を先頭に挙母神社に向かい、鳥居前から神殿まで進んで拝礼し、鳥居まで戻る。
これを七回続けることから七度まいりと呼ばれます。
七度まいりは珍しい風習ですが、どうして始まったのかは不明です。

CONTENTS

ページのトップへ戻る